愛され続けて30年
日本食料理屋の先駆けとして
そして現在も この不況に負けることなく健在で。
そんな 不動の地位を築いたこのお店の
最も不思議なところは そこにどっぷりと
ハマらないと分からない どっぷりと身を置いていても
分からない この各界の有名著名人からなる顧客リストである。
当時 彼は26歳 売り上げが ランチとディナー合わせて
5万円を越えたら お電話します といって0年前の12月の10日に
新規オープンし それから半年
日本の両親のもとに電話をする事が出来なかったと。
家賃が払えなくなることはたびたびで、仕入れの代金が滞ることも。
売り上げては 先月の滞納分に そして翌月はまたその前月滞った支払いに。
従業員の給料も遅れてはまた遅れて。
一人もお客さんの入らない日も珍しくはなかったという。
日本食 食材も今のようにまともに手に入らない時代。
それでもひたすらに信念をもって
日本食という食文化でもって 国と国とを繋ぐという信念だけを支えにして。
食べる喜びというものは世界共通。
美味しいものを食べて幸せを感じれるのは人間共通。
国際親善を日本食というものをを通して。
それから4年、 やっとお店が軌道に乗り 家賃も毎月 期日に払えるだけの
売り上げを出し、お給料もきちんと出せるようになるまでになりました。
朝の早くから仕込みを始め、 夜の遅くまで働き 働き 働き
家には本当に寝に帰るだけ。 くったくたになりながらも毎日
走り続けたあの頃の結果が 今につながって。
涙ながらに語る彼の脳裏には もの凄い沢山の想いが甦って
いるに違いない。
そして30年。
60歳近い 彼は 今日も赤いマフラーを小粋に巻いて。
30周年 記念 に参加させていただきました。